2015年12月20日日曜日

視覚優位だとこんなことができる



娘が3歳の時、都道府県パズルを買いました。

県の形のピース。北海道でかすぎ。

普通にパズルをはめるのに飽きたころ、
ピースの形だけで都道府県を当てるゲームをして遊んでいました。

そのうちピースを裏返したり、一部だけを見せたりして難易度を上げていったのですが、
当たり前のようにサクサク正解を言い当てる3歳を前に、
母、大喜びを通りこしてややドン引き。



問題①:どこの都道府県でしょう?(裏返して先っぽだけバージョン)

 この割りばしの先みたいなのだけ見て、都道府県を当てられる人いますかー?

 



答え:鳥取県





問題②:どこの都道府県でしょう?(側面の一部だけバージョン)

こんどは横のギザギザだけしか見せないよーん。分かる?(ちょっとピンボケだけど)



答え:滋賀県



できましたかー?
あ、できるわけないって?
ウチの3歳は余裕でできましたけどね(ドヤ)。


「視覚優位」だと、こういうことができます。
視覚優位というのは、聴いたことより見たことの方が理解が早いタイプの人のことです。
こういう人は物事を言葉ではなく映像で覚えたり考えたりします。
口で説明しても全然分かってくれなかったのに、図解にするだけですぐに理解します。

逆に、目で見るより聞いたことの方に注目しがちなのが「聴覚優位」です。
紙のマニュアルを渡すより口で説明してくれと思うタイプです。


自分がどちらなのか知りたいところですが、
大人になるほど自分がどっち優位なのか分からなくなります。
本当は映像で理解するタイプでも、言語への変換が早くなるからです。


簡単なテストの例では、
たとえば「赤ちゃんが生まれたところを想像してください」と指示されて、
赤ちゃんが泣いている場面を思い浮かべたら「視覚優位」、
「オギャー」という泣き声を思い浮かべたら「聴覚優位」、とあります。


視覚優位の方が「天才型」とか言われていますが、
一般社会では聴覚優位の方が何かと有利です。
なんといっても口頭による言語コミュニケーションが圧倒的に多いですから。


3歳もいまや8歳になり、あまりこういう特殊能力が目立たなくなりました。
それでも気まぐれにこのパズルでクイズを出してみて、
あっさり正解を当ててくれたりすると、昔を思いだすようで懐かしいのです。



 




2015年12月5日土曜日

なぜ発達障害は分かりにくいのか?


そもそも中のそもそもですが、発達障害とは何でしょうか?

「発達障害」という言葉はよく知られているのに、中身はあまり理解されていませんよね。
当事者の保護者である私でさえも、自分の子供の説明はできるけど、「発達障害って何?」とざっくり聞かれると、さてどこから手をつけましょうかという状態になります。


発達障害者支援法では、
発達障害は「自閉症、アスペルガー症候群その他の広汎性発達障害、学習障害、注意欠陥多動性障害、その他これに類する脳機能障害であってその症状が通常低年齢において発現するもの」

と定義されています。
これを読んで「おおっ!発達障害が分かった!」と思う人はどのくらいいるでしょうか。
まず、出てくる用語が意味不明ですよね。


もう少し優しい表現で説明してくれているものもあります。
国民にあらゆる情報を分かりやすく説明してくれる政府広報オンラインによると、

発達障害は、脳機能の発達が関係する生まれつきの障害です。発達障害がある人は、コミュニケーションや対人関係をつくるのが苦手です。また、その行動や態度は「自分勝手」とか「変わった人」「困った人」と誤解され、敬遠されることも少なくありません。

とあります。

「お、おう。。」って感じですよね。


言葉による説明が難しい時は、図解に頼るのが一番ですよ。
厚生労働省のホームページの発達障害に関する解説ページの図解はこうです。


発達障害ってどんな障害?(厚生労働省「政策レポート」より)

これを見て「なるほど!一目瞭然!!」となる人っているんでしょうか。


でも、これらは書いた人が悪いのではなくて、本当にこう表現するしかないんだと思います。
本来すべてひっくるめて語るのに無理があるものを、支援の対象にするためにひっくるめて「発達障害」としちゃってるので、発達障害の中身をシンプルに説明することが難しいんです。


いろいろまとめて「福袋」としたものを「これは何だ」と聞かれたら、「いや、福袋っすw」としか答えられないようなものでしょうか。


もちろんまったく無関係な障害を集めたわけではなく、「生まれつきの脳機能障害」という点では共通しているのですが、生活上で問題になる点が全然ちがうので、「結局何が問題なの?」に対する答えがちがってくるのです。


同じ障害を持っていても人によって表れ方が両極端であることも、分かりにくさに拍車をかけています。
たとえばコミュニケーションに難があるのが自閉症の特徴なのですが、同じコミュニケーション障害でも、まったくしゃべらないという人がいれば、プレゼンさせたら最強(ただし人の話は聞かない)という人もいます。


つまり、発達障害が分かりにくい理由は、
  • いろんな障害をいっしょくたに語るのとか無理
  • 同じ障害でも特徴が人それぞれ過ぎてイメージがつかめない
ためだと思われます。


発達障害はその分かりにくさのため、ちょっと変わった人を発達障害とレッテルを貼ったり、発達障害と聞くと2歩も3歩も後ずさる人がいます。発達障害の周知活動は、いまのところあまりうまくいっていないようです。


当事者でもないのにへんに理解しようとすると無用な誤解を生むこともあります。みんなに正しく理解してもらうなんて不可能なので(親でもムリ)(てか他人を理解すること自体がムリ)、分かりにくいなら分かりにくいままでいいと思います。


フツーの人の発達障害の理解に関しては、

「何か知らんけど型にはめたらアカン人」

くらいのイメージでいいんじゃないでしょうか。



2015年11月6日金曜日

パニックを起こした子を見かけた時は


先日、とあるショッピングモールで、パニックを起こした小さい女の子を見かけました。

今にも殺されるかのような悲痛な泣き声をあげ、
床に転がって頭を打ちつけるなど尋常ではない暴れ方をして、
お母さんがさわろうとするとさらに暴れました。

あまりの騒ぎに多くの人が集まってきましたが、手を差し伸べようとする人はいません。
温かいのか冷たいのか分からないような目で、ザワザワひそひそと見るだけでした。

お母さんはすぐにでもその場を去りたい気持ちでいっぱいだったでしょうが、小さいとはいえパニックを起こした子を抱いて移動するのは、荷物もあるしかなり難しいことです。

「ああ、またか」と、どこかあきらめに似た表情を見ると、初めてのことではないのが分かります。



人だかりの中で立ちつくすあのお母さんの姿は、5年前までの私です。



あの女の子がパニックになったのにはいろいろな理由が考えられます。

・ 夢中になっていたことを中断された
 (遊んでたのに「もう行くよ」と言われたとか)

・ 予想した通りにものごとが進まなかった
 (あの店に行くつもりだったのに「今日は行かない」と言われたとか)

・ 疲れて不機嫌だった
 (子供は自分の疲労に気づかない場合が多い)


「え?そんなことであんなに泣く?」と思うかもしれませんが、そんなことであんなに泣くからパニックなんです。


もし、みなさんがこのような場面に遭遇したら、何事もなかったように通り過ぎるか、ジロジロ見ないであげてください。あの視線は、人によっては凶器です。

見るんだったら、助けてあげてください。助ける時は、さも大変ですねといった雰囲気は出さず、落ちている物をひろってあげるとかさらりとした手助けをしてあげてください。

パニックを起こした子をなだめようとするのは危険です。他人が絡んで事態が悪化してはいけないので、何かしてあげたいなら子供はお母さんに任せて、荷物を持つとか下の子を見てあげるていどにとどめましょう。


私はこう見えても力持ちなので、街中でパニックを起こされた時は、左手に買ったばかりのマットレス&右わきに暴れる娘を抱え、ダッシュで車に戻ることも可能でした(下の子を妊娠中のときは大変だった)。

もし私がひ弱な腰痛持ちだったら、もっと長い時間人だかりの中で立ちつくしていることになったでしょう。


時は過ぎ現在、8歳になった娘と一緒にそのパニック現場を通りかかりました。

「めっちゃ泣いてるな~」と娘。


・・・めっちゃ泣いてたのはお前だよ!!

なに他人事みたいに言ってんの!!
なにキレイに忘れちゃってんの!!

アンタは体も大きくて力もあったんだから、
あんな小さくてかわいい子のパニックなんか、
アンタのパニックの比じゃねーっつーの!!!!


限界までほっぺたをひっぱって説教してやりました。


かつてひどいパニ子だった娘と、いまこんな会話ができるのが楽しい。


たまに外でパニックを起こしている子供を見かけると、あの頃のことを思い出す。
でも、途方に暮れるお母さんたちに言ってあげたい。
きっと大丈夫だよ、と。







2015年11月5日木曜日

ならべるのが好き

自閉症やアスペルガーの子供は、「ならべるのが好き」という特性があります。

これは、決まったパターンやいつも通りの手順を好む傾向からくるのですが、
ではなぜパターン化されたものが好きなのかと言うと、
「不測の事態がキライ」という特性があるからなんですね。

これを専門用語的に言うと「イマジネーション障害」というのだそうです。

そこにあるもの・見えているものは理解できるが、
これから起こるかも知れないもの、どうなるか分からないものは、
想像力をはたらかさないと分かりません。
その能力が乏しいので、アドリブや突発的な出来事に弱いのです。


「ならんでいる」=「規則的」=「安心」
という意味があるのですね。


ちなみにパズルなんかも好きです。
はまるべき場所にぴしゃっとはまると楽しいんでしょうね。
ピースが1個足りないとかになったらパニックですが。


娘が2歳から4歳くらいまで、とにかく家にあるもの、遊びに行った先にあるものを片っぱしからならべていきました。ブロックや車のおもちゃ、ストローや箸、玄関のくつ(これは助かる)。

一番ヒットだったのが、スーパーでちょっと目を離したすきに作り上げてたコレ↓

サンマタワー






















※イメージです



横ならびだけでなく、縦ならびも楽しいってことが判明。




2015年10月27日火曜日

カメラ・アイの持ち主



子供が使っているトランプ。

スペードは海の生き物、
ハートは陸の動物、
ダイヤは昆虫、
クローバーは植物 って分けてあってカワイイやつです。

数字ごとにも違ってて、たとえばハートのAなら象が1頭、スペードの2ならサメが2匹、といった具合に、カード52枚全部違う模様なんです。



ある日ふと「そういえばハートの4って何の絵だったっけ?」と聞いてみたら、
娘がカードの方を見ずに「しまうまだよ!」とキッパリ答えました。

・・・偶然知ってたのかな?と思ってカードを隠して他のも聞いてみました。

「クローバーのJは?」→「さくら!」
「ダイヤの8は?」→「ハチさん!」

・・・まさかまさかと思って、質問を逆にして聞いてみました。

「タツノオトシゴは?」→「スペードの9!」
「ライオンは?」→「ハートのK!」


まじか・・・
52パターンの絵とマークと数字、全部覚えてやがりました。

これは娘が4歳の時です。



こういうのを「カメラ・アイ」または「映像記憶」というのだそうです。
目で見た映像をそのまま記憶できる能力です。
がんばって覚える、という作業はそこにはいりません。

1歳半の発達検査ですでにその兆候はありました。
絵がたくさん描かれたボードを見せられ、
隠したうえで何があったか聞かれたら、あったもの、あった場所、全部暗記してました。
8歳になった今でも、5年前の出来事を昨日のことのように話したりします。
なのに最近九九で苦労している。なぜだー。


何を聞いても正解なので楽しくて、
昔から記憶テストみたいなのをやりまくっていました。

感覚過敏やコミュニケーション障害など、しんどいと思うことがあっても、
そうか、こういう特別な能力のための代償なんだと思えば、
大したことではないような気がしてきたのを覚えています。





2015年8月20日木曜日

コミュニケーションの”質”のはなし

親なら誰でも、子供の言葉の発達が気になるものですよね。


うちの子、全然しゃべらないけど大丈夫かしら~とか、
「ブーブー」「わんわん」は分かるみたいだけど「ママ」はまだなのよ~とか、
2語文や3語文っていつまでに言えればいいのかしら~とか。


しかし、よくしゃべって、単語もたくさん知っていて、文章もきちんと組み立てられていても、言葉に問題がある場合があります。

多くの人が気になるの言葉覚えや上手なおしゃべりなどは”量”のはなしです。じつは”質”に問題があるとコミュニケーションがうまくいかない場合があります。

それが、発達障害でよく話題に上がる「コミュニケーションの質的障害」です。



娘は早くから文字や言葉に強い興味を持ち始め、単語もものすごいスピードで覚えていきました。

それなのにいつまでたっても会話はちぐはぐなままで、うまく意思疎通できない状態が続きました。

なぜ、そんなことが起こったのか。

それは、あまりにも一方的な言葉の使い方にありました。



たとえば臨床心理士さんにイラストがたくさん描いてある紙を見せられて、
「車はどれ?」と聞かれたら、違うところを指さして

「これはハサミです。ちょきちょきするのに使います。これは電話です。でもうちにあるのはこういう形ではありません。これは自転車です。○○ちゃんはよく自転車に乗せてもらっていいなー・・・」

と、上から順番に知っていることを全部話してくれます。
言っていることも正確だし、言葉づかいも大したものですが、残念ながらそこには絶望的に「相手」がいません。

質問には一切答えず、相手のあいづちも無視してどんどん自分の話ばかりをします。




会話がキャッチボールだとすると、娘の場合は壁打ち、いや1000本ノックみたいな感じです。打っている本人はノリノリですが、受けようとする方はもうタイヘンです。





その人が話している中身がどんなにすばらしい内容でも、相手の言葉を聞き、それを受けて返す、というやり取りがない限り、コミュニケーションとは言えません。


発達検査の時に「言葉の発達に問題がある」と言われた時は、「どこがやねん!」と思いましたが、私も”量”ばかりに注目して”質”に目がいってなかったのでした。


知的障害のない発達障害の子の中にはとても賢く活発な子がいて、とても言葉やコミュニケーションに障害があるようには見えないのですが、それがのちのち社会生活をする上で大きく響いてくることがあります。


私も療育を進めていくうえで、コミュニケーションには特に気をつけて取り組んでいました(それも今後ぼちぼち書いていきます)。
それのおかげかどうかは分かりませんが、小学生になった今は普通の会話や学校生活にまったく支障はありません。


コミュニケーションの質的障害は、子供時代には「小さい子ってそんなもんでしょ?」と片づけられ、大人になると「本人のワガママ」とされます。それだけに、先天的な障害として、早期発見と療育が大切と言われている理由が分かった気がします。


ここまでをふまえたうえで、


発達障害でもないのに人の話を聞かずに自分のことばっかりしゃべっている大人なんかいっぱいおるよな。


とつい考えずにはいられなかった私です。


2015年7月30日木曜日

イヤーマフを買いました

夏ですね。
海ですね。
花火ですね。


   

打ち上げ花火・・・ ひゅるるるる~バーン!ドカーン!ばりばりばりー! って鳴るアレですよね。
私は大好きですが、聴覚過敏のある子には厳しい夏の風物詩です。


娘8歳は打ち上げ花火をロクに見たことがありません。
3~4歳くらいの時に近所の小さな花火大会に試しに連れていったことがあるのですが、
耳を押さえてうずくまってしまったので早々に帰りました。
(そして娘を主人に任せて最後まで花火を堪能した私は鬼ババ)


一応予測はできたので、耳栓の上にヘッドホンで音楽を聞かせての挑戦だったけどダメでしたね。
あの爆発音、予測できないタイミング、振動する空気、いろいろイヤなんだろうと思います。


それ以来、花火を見には行っていません。


ところが、今回帰省するタイミングでちょうど現地で花火大会があると聞いて、
「行ってみようかな・・・」
と娘が言いだしました。


なーんと、再チャレンジのチャーンス!
最近こういう前向きな姿勢が増えてきてとてもうれしい。


フライトの予約とともに、じぃじに頼んで花火大会の特等席を予約。
それと、音を遮断するイヤーマフを買いました。


 PELTOR 3M(スリーエム) 防音用イヤーマフ H510A-401-GU


日本のAmazonではペルターのイヤーマフが人気ですね。

イヤーマフには特定の音をふせぐものと全体的に聞こえにくくするものがあるので、用途によって選ぶといいでしょう。

あと、使うのは子供なので、遮音性が高いからってバカでかくて重いものや締め付けがキツイものは、せっかく買っても使ってもらえないことがあるので注意です。


ペルターのには子供サイズがあり、色が選べてかわいいです。
うちの娘は頭蓋骨がやや大きめなので大人用ですが(涙)


世の中には音で困っている人がたくさんいるようで、レビューを見てると参考になります。
聴覚過敏ズの間では、Moldexの耳栓の評価が高いですね。


 MOLDEX 使い捨て耳栓



耳栓はイヤがってまだつけてくれませんが、慣れてくれたら運動会のピストルもこわがらなくなると思うんだけどなー。



2015年6月19日金曜日

白い紙にお絵かきできない


子供は自由にのびのびお絵かきするもの。
とはかぎらない、と知ったのは娘が2歳くらいのころ。


好奇心旺盛でなんでもやりたがるので、
お絵かきや工作も大好き、のはずなのだが、



白い紙を渡すとフリーズ。



そして、おびえだす。
しまいには、泣く。


「どしたの?自由に描いていいんだよ」

「こわい!間違ったらどうしよう!!」



・・・幼児のお絵かきに間違いも何も。。
オラオラーって描きなぐって、ドベーって塗りゃあいいんじゃないの。


「自由に描いていい」がストレスになることも













すべきことが決まっていない。
何が正解で、何が不正解なのかはっきりしない。

そういうのが、アスペの子にはものすごいストレスだったりします。


真っ白な紙というのはそういうものの象徴で、
まずどこから手をつけたらいいのか分からないんでしょうね。

誰でも分からないことには不安を感じるものですが、
過剰に不安を感じる子には、もう白い紙自体が恐怖の対象になります。


消せない筆記用具もダメ

色えんぴつ、カラーペン、クレヨンなどもしばらくダメでした。
理由は、「消せないから」。

これまた「間違ったらどうすんの攻撃」がはじまり、
断固としてシャーペンか鉛筆しか受け付けてくれません。

こうして、うすーくてほそーくて小さーい作品が大量生産されたのでした。


当たりをつけてあげるとできる

無理にやらせなくてもいいんだけど、
どうも本人は描きたいと思っているようなので、何とかやらせてあげたい。

やってみたのは、手がかりをひとつ与えること。

たとえば、シャーっと一本、線を描いてあげるんです。
「ほーら、地面だよー。じゃあ、この上に何がいるのかな?」
すると、ヒトやら花やら描きはじめます。
すると木とか太陽とかも欲しくなりますよね。

いちどエンジンがかかるとあとはどんどん進めるので、
ほったらかしても大丈夫。

気をつけなくてはいけないのは、いきなり勝手に手を加えないこと。
予測していなかったことが起こるとマジギレされます。
「最初に1つだけお母さんが描いていい?」と許可を取ってからやる必要があります。
ああめんどくさい。



無理強いはしない

それでもやりたがらないことはあるので、
そんな時は無理強いをしないことを心がけました。
あくまでも、淡々と、粛々と、白い紙を撤去します。

ここでがっかりしていることを気づかれてもいけません。
子供は失望されたことを敏感に察知する能力があります。

大人として子供がのびのび楽しそうにお絵かきしてほしいものですが、
あっちにはあっちの事情がありますからねー。



たくさんのものを描くうちに、自由にも慣れる

次第にですが、5歳頃には平気になりました。
幼稚園に行くようになって「テーマのあるお絵かき」を日々するようになり、
スキルと経験値が上がるとだんだん自由に描きたくなってくるようですね。


白い紙を見せるだけでひっくり返って泣く娘に途方に暮れていたあの頃の自分に、
「そのうちできるようになるから大丈夫」と言ってあげたいです。


お絵かき先生にはお世話になったなぁ。
なんせ消せるもんね。












2カラーせんせい
せんせい おえかきせんせい SH-01



2015年6月15日月曜日

イヤなもの・怖いものが多すぎるという病

ひと口に発達障害と言っても特性は人それぞれで、
「けっきょく何が問題なん?」と問われても、その答えはさまざまです。


娘の場合、発達障害で最も困難だったことは、

「イヤなもの・怖いものが多すぎる」

という症状でした。


おそらく、視覚・聴覚・味覚・嗅覚・触覚といった五感のほか、
恐怖感・不安感・緊張感といった精神的な感受性をふくめた心身のあらゆるセンサーが過敏すぎるためにおこるバグのようなものだと思います。


感じすぎるために、普通の人には何でもないようなことでも不快感を覚えてしまう。
不快なものを避けるために、好きなもの、知っているもの、大丈夫なものに異常にこだわる。
こだわっているものを取り上げられたり邪魔されたりすると、生存を拒絶されたかのように抵抗する。

そして、スペックをオーバーした時点で、パニックに陥る。



こだわり。
パニック。


これらは本人にとっても辛く、周囲の人間を疲れさせ、偏見や誤解を生むためさらに環境が悪くなるという悪循環を招きます。


こだわりやパニックを起こす子にはそれ相応の理由が(本人にとっては)あるのですが、なかなか他人が理解することは難しいものです。そのため、変わっている子、わがままな子、やっかいな子といったレッテルを貼られます。



泣き疲れて寝るというお決まりのポーズ














それは親でさえ同じです。
障害を理解するためのペアレントトレーニングを受ければ、ある程度は不可解な行動の理由が理解できます。そうすれば多少は気持ちが楽になるかも知れませんが、だからって負担が軽くなるわけではありません。

頭痛の原因が分かったからと言って、頭痛が治らなければ辛いのは変わらないのと同じです。


私もいろんな専門機関にかかっていろんな専門書を読んできて、障害の原因や症状、問題点、すべきことが分かったのは大きな収穫でしたが、楽になったわけではありません。むしろ余計なことを知ってしまったために余計な心労をした部分もあると思います。


今ではそれも含めてやってきて良かったと思っていますが。




小学生になった娘は、昔よく見られたようなこだわりや頻繁なパニックはなくなってきました。
しかし感覚が過敏なのはそれほど変わらないので、けっきょくは本人にガマンを強いているにすぎません。

フツーの子には何のエネルギーも必要としない生活が、あの子にとっては多大なるガマンの上に成り立っています。もう、想像するだけで疲れるんですが。


学校で疲れて帰ってきてるんだから、せめて家ではリラックスしてほしいと言っておきながら、今日も昨日も、しょ~もないことで説教なんかしてしまう私は、すでにガマンの量で娘に負けている気がします。





2015年6月11日木曜日

抱っこしにくい赤ちゃん

赤ちゃん時代は抱っこがとても大変でした。


エビ反りになる。
足をばたつかせる。
こちらに体を預けない。

釣りたてのカジキマグロを横抱きしているような感じ。
※イメージです












しかも体が大きめで力が強い(女の子なのに)から大変さ2倍。


1人目の子だから抱くほうも初心者、ということを差し引いてもしんどかった。


大変なのは授乳中で、目を合わせて微笑みながらなんて悠長なことはやってられません。
落ちないように、噛まれないように抱きすくめながら与えるので、夏なんか汗びっしょり。


あやしたり寝かしつけたりするのもそんな状態なので、父親も私も、ダブルで腱鞘炎になりました。腕力にはけっこう自信があったんですけどねー。



発達障害の子が抱っこしにくいのは割と知られています。



原因はいろいろ言われていますが、触覚過敏で肌が触れ合うのを嫌うとか、もともと体が緊張しやすいとか、空中のふわふわした感じがイヤとか、まあとにかくそういうことなんだと思います。



赤ちゃん期を過ぎても、抱っこ(ハグ)しにくいのは変わりませんでした。

子供は抱っこしてほしいとは思っているようですが、どこかぎこちなくて腰が引けていて、体が硬いので、なかなかうまくいかないんです。動きが唐突なので、急に飛びついてきて親子共々地面に倒れて、ついあぶないでしょ!と怒ってしまったり。

トコトコやってきて自然にむぎゅってできる子供ってかわいいですよね。でも、みんなができるわけじゃないんですよ。


抱っこをはじめとするスキンシップは、親子の愛着形成に重要な役割をはたすといいます。特に、まだ言葉を介してコミュニケーションが取れない年齢のうちはそうですよね。


でも、お互いにやりたいと思っていてもうまくできないところに、この特性の難しさがあります。「お母さんが抱きしめてあげればすべて解決」みたいな育児論がありますが、それが簡単にできないから苦労してんの!と何度思ったか分かりません。


抱っこしにくい。
たったそれだけのことだけど、とても象徴的。
今から思えば、アスペの子って人と関わりを持って生きていくにはたくさんの苦痛とハンデを背負って生まれてきているんだなーって分かります。


興味があるものがあれば抱っこもキープできる


※抱っこしにくいだけで発達障害というわけではありません。診断には専門家の総合的な判断が必要です。

2015年5月27日水曜日

はじまりは1歳半健診

「発達障害」という言葉を初めて耳にしたのは、1歳半健診でした。


1歳半健診では、健康面・運動面のチェックが中心だった乳児健診と違って、言葉おぼえや理解力、情緒面のチェックが入るようになります。

とはいえ、長女は私が見ていておかしいと思うようなところは何もなく、活発で、よく動き、よく泣いて、エネルギッシュだからこっちは疲れるけど、頭の良さそうな子だなーと思っていました。

言葉をよく知っていたし、遊んでいても生活していても、何でも自分でやりたがり、実際できるかしこさを持ち合わせていました。

ベランダをコロコロで掃除してくださる長女様。永遠に終わらないし。


そんな娘だったので、保健師さんから深刻そうに指摘された時は、「障害?なんぞ?」と思ったものです。


流れとしてはこうです。
ひととおり面接や問診が終わり、「今日もウチの子はおもしろかったー」と帰ろうとしたところ、スタッフの方から「お母さん、ちょっと。。」と別室に案内されました。そして、娘の発達に問題があることを告げられたのです。

状況としては、国際空港の税関で別室に連行されるあの感じでしょうか。

今後も慎重に見守ることを念押しされ、定期健診以外にも子育てセンターに来ること、できれば専門機関に通うことをすすめられました。



指摘されたのは、だいたい以下のようなものでした。

・ 言葉の遅れ
・ 落ち着きのなさ
・ こだわりの強さ


言葉の遅れ?だってたくさん単語知ってるよ?わんわん・ぶーぶーレベルじゃないよ?
落ち着きのなさ?だって子供でしょ?子供って落ち着きのない生き物でしょ?
こだわり?いいじゃん!こだわりのない人生なんて楽しくないよ!

その時の私の感想です(口にはしていないけど)。
おそらく、発達検査で引っかかった多くの保護者の方が感じる疑問ではないかと思います。


当時の私にも分かりませんでしたが、その後いろいろ勉強したこともあって、今ならこれらが単なる言葉の遅れ、落ち着きのなさ、こだわりという問題ではないということが分かります(そのへんは次回以降書きます)。


しかし、そんな前知識のないひとが、知的にも身体的にも問題ない我が子に向かって「社会性に問題があるかも知れません」と言われても、いまいちピンとこないのは当然ではないでしょうか。もしくは、「障害」という言葉におどろいて必要以上に悲観してしまったり。


面談してくださった保健師さんは、ものすごく言葉を選んで話しているようでした。
なんどもなんども「あくまでも発達障害の”疑い”です。診断ではありません。まだグレーな段階です。あまり気にしないでください」と言っていました。たぶん”疑い”って50回は言ったと思う。

すごくデリケートな問題だし、母親が混乱しないようにとても気を使ってくれていました。だからって気にしないとか無理なんだけど。


思えば、この1歳半での「別室に連行」がなければ、娘のことを理解し、しっかりとした療育を受けさせることはできなかったと思います。


ほとんどの親は、自分の子の特異性に気づいて自分から専門機関に通わせる、なんて芸当はできません。半ば強制の乳幼児健診だからできたことです。

すべての子供を対象とした日本特有の乳幼児健診は、世界にもあまり例がないといいます。
はじめて、税金払ってて良かった、と思いました。





2015年5月12日火曜日

このブログを始めたワケ


これは、発達障害を持つ子供の母親の記録です。


長女、7歳(2015年5月時点)。
広汎性発達障害、高機能自閉症、アスペルガー症候群、自閉症スペクトクラム・・・いろんな診断名があるようですが、とにかくそういう感じの発達障害です。


小学生となり、毎日学校に通う娘はどう見てもフツーの女の子です。
しかし、かつては「普通級に通うのはムリ」と言われるほど、育てるのが大変な子供でした。

どう大変だったかって・・・(思い出して失神中)・・・それは追々ブログに書いていきます。


幼児期はひたすら療育に通い、専門施設をハシゴし、保育先を探してさまよい、専門書を読みあさりました。

改善が見られたと喜び、また悪化したと落ち込み、時おり見せる天才的な能力におどろき、将来を勝手に悲観して泣く、そんな生活でした。


今では当時大変だと感じていた特徴は影をひそめ、ほとんどの人が彼女を見ても「え?どこが障害?全然フツーっていうかむしろ優秀だよね」と言ってくれます。私もそう思います。よくここまで成長してくれたと思います。


でも、発達障害は治りません。
先天性の機能障害だからです。
生まれつきない手足が生えてこないのと同じです。


学童期に入ると、発達障害はだんだん見えにくくなります。しかしなくなるわけではありません。むしろ表面化しないぶん、問題はより複雑化・深刻化することもあります。


そこまで分かっていても、元気に暮らす娘を見ていると、私でさえ「もう治ったんじゃね?」という気分になります。そうやってつい油断しがちな自分をいましめるため、これまでの育児生活をまとめておこうと思いました。


なにが大変だったか。
どう対処したのか。
なにがうまくいったのか、いかなかったのか。
どんなよろこびがあったのか―――。


娘の誕生と成長は、私の生活と思考に大きなインパクトを与えました。
もちろん、いい意味でです。
こんなおもしろい子、よくうちに来てくれたなーと思います。


発達障害に関心がある人もない人も、
子供がいる人もいない人も、
このブログ呼んで、「こんな世界があるんだー」と感じていただければ幸いです。