2017年4月9日日曜日
聴覚優位と視覚優位のちがい
小学生娘2人は特性が対極だ。
長女は聴覚優位。
音感に優れ、耳から入る情報の記憶に強く、言葉による理解が早い。
次女は視覚優位。
色彩感覚に優れ、目から入る情報の記憶に強く(カメラアイなど)、直感がよく働く。
学習におけるミスの仕方にも特徴が出ていておもしろい。
「boy」という英単語を書かせてみたら、こんなスペル間違いをした。
・聴覚優位の娘はboi(←音的にこんな感じ)
・視覚優位の娘はbog(←形的にこんな感じ)
こんな初歩的な単語1回でおぼえろやと小言を言いながら、この二人が逆の間違え方をすることは絶対にないんだろうなと思ってとても興味深かった。
上の本によると、
自分の母親をなつかしく思いだす時、どの感覚が優位に働くかでこんな違いがあるのだそうだ。
聴覚優位な人→母親の声や言葉、歌声などを頭に浮かべる
視覚優位な人→母親の顔や着ていた服の模様などを頭に浮かべる
とするとたぶん、
嗅覚過敏の人→母親のにおいや食事の香り
触覚過敏の人→母親に触れた時の肌や服の感触
を思い浮かべるのではないだろうか。
発達障害のことを調べているうちに、人間にとって感覚というものがいかに大事なのか痛感した。みんながやけに重視する知識や論理なんてものは表層的でオマケみたいなもので、インプットをつかさどる感覚(センサー)がどのように働くかはその人を特徴づける決定的なものと言っていいと思う。
だから幼少期は感覚を刺激する遊びが良いとされる。早期教育は大事だが、それは知識の詰め込みではなくて、子供の感覚や感情を意識するものでなければならないのではないか。
2017年2月25日土曜日
療育に効果はあるのか
発達障害についてブログなんか書いていると、
「療育って行ったほうがいいの?」「療育って効果あるの?」
とよく聞かれます。
結論から言うと、私は行って良かったと思っています。
しかし、効果があるかどうかは分かりません。
まず、発達障害は病気ではないので、治療法や薬があるわけではありません。抗生物質で発熱がすっきり治るような効果を見込めるものではありません。
早期発見・早期介入が良いことだけは医学的にもはっきりしています。ただそれは3年後とか10年後を見越して言える効果であって、今すぐにでも子供の問題行動をどうにかしたいと考えている人にとっては、療育は効果がないと感じてしまうのも無理のないことです。
私が行って良かったと思える理由は以下の通り。
・子供の問題行動の原因が分かる
・パニックやこだわり時の対応方法が分かる
・発達障害分野の知識が得られる
・集団の中のわが子の行動を観察できる
・能力や気質を他の子と比較できる
・家ではなかなかできないふれあい遊びやスキンシップが取れる
・お遊戯やままごと遊びの重要性を発見できる
・他の子もわけありで来ているので気兼ねがない
・他の親と悩みや解決方法を共有できる
・民間に比べて公的療育はめちゃくちゃ安い
・虐待のリスクが劇的に減る
療育の内容は自治体や請負業者によって異なりますが、たいていは理学療法、言語療法、感覚統合療法といった専門療法を、臨床心理士が作成したプログラムに沿って取り入れます。
一見ただの幼稚園遊びにしか見えないことでも、発達において重要な意味があると分かったのは新鮮で楽しかったです。
一緒に遊んだり踊ったり手遊びしたり、同じことをして楽しみや気持ちを共有する訓練がいかに大事か、知らなかったら絶対やらなかったと思うので、すごくためになりました。
基本的に公的療育は平日の昼間なので、仕事ができない状態で1回数百円で済む親子教室は正直たすかりまくりです。民間だったら月何万円かかるか分かりません。
発達障害の分野は非常に奥が深く、一時夢中になって専門書を含め本を読み漁りました。来世では脳神経科の専門家になりたいと思ったほどです(現世では間に合わない)。
このように、療育は親にとってのメリットが大きいかなと思います。
ただ、無条件に誰にでも勧めるかと言うと、ちょっと悩んでしまいます。こだわりのある子を定期的にある場所に連れていくのは大変なことですし、送迎だけでなく親の参加が必要であることも多いので、時間と労力は相当なものです。ただ通えばいいというものではなく、療育で培ったことは普段の生活にも活かさなければなりません。
それには母親だけでなく家族の協力が不可欠ですが、家族が療育に反対するケースもありますし、そもそも共働きでは通うことさえ不可能です。
それでも、「行って良かった?」と聞かれれば、「私は行って良かったと思う」と答えます。
「効果あった?」と聞かれれば、「効果あったかどうかは分からないけど今奇跡的に子供が良い状態なのは私が療育を頑張ったおかげだと思いたいから効果あったことにする」と答えます。
頼りないけど、私なりの誠実な答えです。
「療育って行ったほうがいいの?」「療育って効果あるの?」
とよく聞かれます。
結論から言うと、私は行って良かったと思っています。
しかし、効果があるかどうかは分かりません。
まず、発達障害は病気ではないので、治療法や薬があるわけではありません。抗生物質で発熱がすっきり治るような効果を見込めるものではありません。
早期発見・早期介入が良いことだけは医学的にもはっきりしています。ただそれは3年後とか10年後を見越して言える効果であって、今すぐにでも子供の問題行動をどうにかしたいと考えている人にとっては、療育は効果がないと感じてしまうのも無理のないことです。
私が行って良かったと思える理由は以下の通り。
・子供の問題行動の原因が分かる
・パニックやこだわり時の対応方法が分かる
・発達障害分野の知識が得られる
・集団の中のわが子の行動を観察できる
・能力や気質を他の子と比較できる
・家ではなかなかできないふれあい遊びやスキンシップが取れる
・お遊戯やままごと遊びの重要性を発見できる
・他の子もわけありで来ているので気兼ねがない
・他の親と悩みや解決方法を共有できる
・民間に比べて公的療育はめちゃくちゃ安い
・虐待のリスクが劇的に減る
療育の内容は自治体や請負業者によって異なりますが、たいていは理学療法、言語療法、感覚統合療法といった専門療法を、臨床心理士が作成したプログラムに沿って取り入れます。
一見ただの幼稚園遊びにしか見えないことでも、発達において重要な意味があると分かったのは新鮮で楽しかったです。
一緒に遊んだり踊ったり手遊びしたり、同じことをして楽しみや気持ちを共有する訓練がいかに大事か、知らなかったら絶対やらなかったと思うので、すごくためになりました。
基本的に公的療育は平日の昼間なので、仕事ができない状態で1回数百円で済む親子教室は正直たすかりまくりです。民間だったら月何万円かかるか分かりません。
発達障害の分野は非常に奥が深く、一時夢中になって専門書を含め本を読み漁りました。来世では脳神経科の専門家になりたいと思ったほどです(現世では間に合わない)。
このように、療育は親にとってのメリットが大きいかなと思います。
ただ、無条件に誰にでも勧めるかと言うと、ちょっと悩んでしまいます。こだわりのある子を定期的にある場所に連れていくのは大変なことですし、送迎だけでなく親の参加が必要であることも多いので、時間と労力は相当なものです。ただ通えばいいというものではなく、療育で培ったことは普段の生活にも活かさなければなりません。
それには母親だけでなく家族の協力が不可欠ですが、家族が療育に反対するケースもありますし、そもそも共働きでは通うことさえ不可能です。
それでも、「行って良かった?」と聞かれれば、「私は行って良かったと思う」と答えます。
「効果あった?」と聞かれれば、「効果あったかどうかは分からないけど今奇跡的に子供が良い状態なのは私が療育を頑張ったおかげだと思いたいから効果あったことにする」と答えます。
頼りないけど、私なりの誠実な答えです。
| 療育で娘と一緒に描いた絵 |
2016年11月27日日曜日
アスペルガーの人はなぜ非を認めないのか
反省しない、責任転嫁をする、プライドが高いなどとよく言われます。子供だけでなく、大人もそうです。
なぜアスペルガーの人は反省しないのでしょうか?
実際に接していて思ったのは、反省に伴う痛みを人よりも強く感じてしまうからではないか、ということです。
反省をするためには、自分の弱みや汚点をまず認める必要があります。人には誰にでも弱みや欠点があるものですが、それを受け止めることは恥ずかしさや自己嫌悪などイヤな思いをすることになります。
アスペルガーの人は、その「イヤな思い」の「イヤ」度合が通常では考えられないくらい大きく、「イヤイヤ!ものすごくイヤ!絶対にイヤ!とにかくイヤ!その激痛から逃れるためなら何でもやる!!」というくらい、イヤなんだと思います。
たとえば感覚過敏の人なら、ちょっとした音に脳天を突き抜けるほどの刺激を感じる人や、服のタグや手の汚れを過剰に嫌ってパニックになる人がいます。その心理的バージョン。
アスペルガーの人は、動物でいうならヤマアラシ、エヴァ的にいうならATフィールドが分厚い人なのです。
非を認めるという苦痛から逃れるために、アスペの人は相手に対し過剰な「反撃」をおこないます。それが責任転嫁、論理のすり替え、無理な強弁につながります。
過敏な痛みから必死に自分を守る姿勢はある意味涙ぐましくもありますが、自分の痛みには過敏なくせに相手の痛みには無関心というのですから、周りにいる人間としてはたまったものではありません。
アスペだから反省しなくてオッケー、ではなく、
反省しても何も怖くないよ、という風に持っていくことが理想なのですが、
大人になってからそこまで面等見てくれる人がいるかどうかですね。
大人の発達障害に関してはこれが一番分かりやすかったです。
本人のつらさだけでなく、周りの人がなぜつらいのかについても言及されています。
2016年11月1日火曜日
冬でも半そで半ズボンの子
真冬でも半そで半ズボンの子。
どうしてあんな寒い格好で過ごすのか、自分なりの解釈としては
・ やせがまん
・ 極度の暑がり
・ スゴイと言われたい
のどれかだと思っていたのですが、最近は
・ 長袖や長ズボンの感触がイヤ
という理由もあり得るなと考えるようになりました。
なぜなら、次女が今まさにそれ。
昔から柄付きの靴下とか厚手の上着とかをイヤがる子で、
小学校に上がってからは上着類はほぼ着なくなりました。
こっちが頼みこんでやっと長袖Tシャツを着てくれるくらい。
カワイイからハイソックスははいてくれますが、たぶんあまり好きではない。
冬でも薄着の子って、男子ばっかりじゃなかったんやー。
もしかしたら彼らの中にも、皮膚感覚が鋭すぎるために
肌に布があたる面積をできるだけ少なくしようと薄着になっていた子がいたかもしれない。
中学校にあがって堅苦しい制服になって、さぞかし不快だったんじゃないだろうか。
2016年10月22日土曜日
ウチの子は全員1歳半健診で積み木が積めませんでした
3人目が1歳半健診を受けました。
人によってはこれって緊張するらしいですね。
それまでの乳児健診とは違い、身体面だけでなく運動や社会性の発達についても検査するので、ママの中には「テストに受かるべく」「予習に余念がない」という人も。受験か。
こちらといたしましては3人目というのもあり、すでに上の2人が療育経験済みということもあり、よゆうです。よゆーのしゃくしゃく。
もう、それぞれの問診の意図、検査の意味、どういう場合に「お母さんこちらに」と呼ばれるか、アウトだった場合はどうなるか、全部知ってます。そして、アウトだったからって大丈夫ってことも。
有名なのは「積み木」でしょうか。
保健士さんに差し出されたちょっと小ぶりな積み木を3段以上積めるかどうかというもの。指先の運動の発達をみるのだとか。
ウチの子は、長女・次女・長男そろって積み木を積めませんでした。
運動能力の問題ではありません。家では上手に積んでいます。性格のせいといったらいいのでしょうか。
〇1人目
→積み木のような幼稚な遊びでは相手が納得しないとふんだのか、おもむろにつかんでイチローのレーザービームのような目を見張る遠投、3つ向こうの同じ検査をしていたテーブルに到達。
〇2人目
→保健士さんが「積み木を積んで・・・」と言いだす前に勝手に積み上げてしまい、褒められると思ったのに「ちょ、ちょっと待ってね」といさめられたので、その後地獄的な不機嫌に。
〇3人目
→「積み木積んでくれる?」と言われてニコニコうなずくものの手を出さず、「こうやるのよ」と保健士さんが作った見本を横殴りの張り手でぶっ壊す。その間もニコニコ。
上の二人は別室送り、一番下は尋問の末釈放でした。
1歳半健診は上手に何かができたかだけでなく、その間の子供とのやり取りや親の様子を総合的に見るもので、積み木が積めたかどうかだけで発達に問題があるとはみなされないので安心していただきたいです。
親としては子供に「正しく」行動してほしいと願うでしょうが、私はああいう場で大人の予想がつかないようなことをしでかしてくれる子供が好きです。そういう意味で、ウチの3人はとても優秀ですよ。育てるのは大変だけど(ボソッ)
関連エントリー
はじめりは1歳半健診
2016年10月3日月曜日
運動会と音
小学校で運動会がありました。
子供の出番に合わせて場所を移動して、必死でカメラを回して、親って本当にバカですね。でも、すごく楽しかったです。
さて、今日は運動会と「音」に関する記事です。あらためて考えてみると、運動会ってものすごくたくさんの音が存在するのですね。
・ おなじみのBGM(チャッチャラー♪チャッチャラー♪チャラチャラチャーー♪とか)
・ 放送委員の声援(「白組がんばってください!」とか)
・ ダンスや組体操のテーマ曲
・ 応援合戦(ピッピッピ!ハイ!ピッピッピ!ハイ!ピッピッピッピッピッピッピ!)
・ 子供のキャーといった歓声
・ ピストル
そりゃ近所の人から苦情も来るっていうね(笑)
娘の聴覚過敏はかなりよくなりましたが、それでもピストル音だけはどうにもなりません。最近では電子音タイプのものも売っていますが、娘の小学校は古風なのか予算がないのか、いまだに火薬を使った昔ながらのヤツです。
運動会の練習がはじまる前から憂鬱だとうったえてくるので、先生に相談して防音対策を取らせてもらうことにしました(さすがにピストルを買い替えてとは言えない)。イヤーマフと耳栓の併用。
つけっぱなしだと指示が聞こえないので、出番の直前にすばやく装着!
席に戻ったらスターターの先生が近づくのを察知してすかさず装着!
どこのスパイ活動家だ。
ちょっと面倒ですが、これだけで普通に運動会を楽しめるのですから、安いもんです。おかげで100m走も1位、他の競技でも大活躍でした。
観察したところ、防音対策をしている子供がけっこういることが分かりました。イヤーマフや耳栓を利用している子は学年に3~4人。耳をふさいでいる子もちらほらいました。学年ごとに人数に偏りがあるのは、当たり前のようにつけている子がいると他の子も付けやすい、逆に誰もやっていないとなかなか利用しにくい、という事情があるのだと思います。だって感覚過敏の割合ってだいたい同じはずだし。
信じられないことに、ひと昔前にはこんな道具をつかうことは許されませんでした。イヤーマフはヘッドホンで音楽を聴いているように見えますし、耳栓は先生の話が聞けない、そもそも他の子と違う行動はゆるされないという風潮がありました。過剰な音に悩まされつつも言いだせなかった子供が多かったことでしょう。
今は練習の段階から使用が認められています。先生の独断で禁止することはできません。感覚過敏には適切に対処することが学校に義務付けられています。私の知らない先人の誰かが、必死に頑張って活動された成果なのでしょうね。とてもありがたいです。
やっぱり、時代は新しい方が正しい。
2016年9月8日木曜日
自閉症が治る薬ができたとして
■自閉症の発症メカニズム解明 九大チーム、神経変異の原因分かる
長らく謎だった自閉症発症のメカニズムが少しずつ解明されてきているようです。原因が分かれば、治療方法や薬の開発につながります。
もちろん薬はそんなに簡単にできるものではないでしょうが、20年前までは脳機能障害かどうかも分かっておらず、「基本的に治らない」が常識だったのですから、ものすごい進歩であることは想像できます。
気になるのは、自閉症特有の困難(人間関係が苦手とか段取りが悪いとか)がその薬で治るとすると、同時に自閉症ならではの能力も失われてしまうのでか、ということです。
特有の能力とは、抜群の記憶力、優れた音感、並外れた味覚や嗅覚などです。
人間というのはうまくできていて、ある部分が足りないと他の部分が発達するようになっているみたいです。凹の能力を埋めるように、凸の能力があるのです。自閉症の人が定型の人にはない能力を持ち合わせているのはそのためです。
凹を薬で治してしまったら、凸の力もなくなって、能力的に平坦な、単なる凡人になってしまいそうです。たぶん、その薬は良くも悪くも自閉症の人を普通の人に変えることになるでしょう。
もし、私が娘の症状に一番悩んでいたころにその薬が開発されたら・・・
こだわりや多動、対話ができない状態が改善される代わりに、記憶力や優れた音感や抜群の視覚的な理解力がなくなると言われたら・・・
たぶんそれでも薬を使っていたと思います。
いろんな人がいてもいい、むしろ多様である方がいい、
そもそも自閉症は病気じゃない、薬で治す必要なんかない、
みんなが同じ普通になるなんて気持ち悪い、彼女のあるがままでいてくれたらいい―。
私もそう思います。でも、言うだけなら簡単です。
本人の生きづらさを目の当たりにして、それに振り回される自分や周囲の人間がいて、将来のことを考えたら不安しかないという本当につらい状況とある時だったら、
「そんなこと言ってられねぇ!」って思ったでしょう。
それで、薬のおかげで本人も周りも楽になったとしても、なんとなく後ろめたさを感じると思います。
ホントにこれで良かったのかと。
今だって、娘が成長とともに特殊能力が失っていくのをまのあたりにすると、「もったいないな・・・」という気持ちになるのですから。もっと、本人の特性に合わせた教育があったんじゃないかと。
薬、早く開発されるといいですね。
でも、親の葛藤は薬では治らないでしょうね。
←自閉症が治療可能となった近未来の小説。自閉症の主人公が、治療すれば自分が自分ではなくなるのではないかと苦悩する話。めちゃくちゃおもしろかった。タイトルがまたいいよねー。
長らく謎だった自閉症発症のメカニズムが少しずつ解明されてきているようです。原因が分かれば、治療方法や薬の開発につながります。
もちろん薬はそんなに簡単にできるものではないでしょうが、20年前までは脳機能障害かどうかも分かっておらず、「基本的に治らない」が常識だったのですから、ものすごい進歩であることは想像できます。
気になるのは、自閉症特有の困難(人間関係が苦手とか段取りが悪いとか)がその薬で治るとすると、同時に自閉症ならではの能力も失われてしまうのでか、ということです。
特有の能力とは、抜群の記憶力、優れた音感、並外れた味覚や嗅覚などです。
人間というのはうまくできていて、ある部分が足りないと他の部分が発達するようになっているみたいです。凹の能力を埋めるように、凸の能力があるのです。自閉症の人が定型の人にはない能力を持ち合わせているのはそのためです。
凹を薬で治してしまったら、凸の力もなくなって、能力的に平坦な、単なる凡人になってしまいそうです。たぶん、その薬は良くも悪くも自閉症の人を普通の人に変えることになるでしょう。
もし、私が娘の症状に一番悩んでいたころにその薬が開発されたら・・・
こだわりや多動、対話ができない状態が改善される代わりに、記憶力や優れた音感や抜群の視覚的な理解力がなくなると言われたら・・・
たぶんそれでも薬を使っていたと思います。
いろんな人がいてもいい、むしろ多様である方がいい、
そもそも自閉症は病気じゃない、薬で治す必要なんかない、
みんなが同じ普通になるなんて気持ち悪い、彼女のあるがままでいてくれたらいい―。
私もそう思います。でも、言うだけなら簡単です。
本人の生きづらさを目の当たりにして、それに振り回される自分や周囲の人間がいて、将来のことを考えたら不安しかないという本当につらい状況とある時だったら、
「そんなこと言ってられねぇ!」って思ったでしょう。
それで、薬のおかげで本人も周りも楽になったとしても、なんとなく後ろめたさを感じると思います。
ホントにこれで良かったのかと。
今だって、娘が成長とともに特殊能力が失っていくのをまのあたりにすると、「もったいないな・・・」という気持ちになるのですから。もっと、本人の特性に合わせた教育があったんじゃないかと。
薬、早く開発されるといいですね。
でも、親の葛藤は薬では治らないでしょうね。
←自閉症が治療可能となった近未来の小説。自閉症の主人公が、治療すれば自分が自分ではなくなるのではないかと苦悩する話。めちゃくちゃおもしろかった。タイトルがまたいいよねー。
登録:
投稿 (Atom)


